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太宰治「人間失格」新潮文庫

 後半が自殺後に発表された、太宰治の人生の総決算ともとれるような作品です。部屋の整理をしていたとき本棚の奥から見つけました。初めて読んだのは中学生の頃でしょうか。当時は自分が大人になったら決してこうはなるまい、という反面教師のようにしか内容を受け取っていませんでした。
 もうすぐ世間一般でいう大人になろうとしている今、読み返すとまた違ったものを受け取れるかなと思い、手にとってみました。
  内容にあらすじやネタバレを含みます。続きをご覧になりたい方は追記の方にどうぞ
 裕福で兄弟の多い家の末っ子として生まれた葉蔵は、非常に純真な子供だった。が、その価値観はどこか世間とずれていて、そのために彼は他人との違いを大いに悩むことになる。他人が何を考えているかわからない。他人と何を話したらいいかわからない。しかし彼は他人を避けることはせず、人を信じたい、愛したいと思っていた。そんな彼は、道化という仮面をかぶり他人と接することを覚える。その中で、葉蔵は内心臆病ながらも謙虚に、そして真摯に人を理解しようと努めた。しかし、彼にはついに人の営み、その行動原理というものが理解できず、次第に疲れ、磨耗し、絶望していく――そんな葉蔵の、人生を綴った手記と彼の3枚の写真によって語られる物語です。

 この作品はフィクションですが、葉蔵と太宰の人生には多く共通するところがあります。彼の生い立ち、自殺・心中経験、薬物中毒、精神病院への入院、妻の不貞など。全てが実際あったことと同じというわけではありませんが、太宰がその経験から感じたことがこの本には書かれているのでしょう。

 主人公である葉蔵は、素直で純粋で、しかし無知ゆえの立場から、人間とはどういう生き物なのか、ということを悩みます。それは同時に、古代ギリシャでソクラテスが無知を装い、ソフィスト達に対して物の本質を問いかけたように、我々にも問いかけてくるものです。この葉蔵という主人公は多くの点で太宰自身であり、そのような人物像を設定することによって、太宰は自身の人生をもって、我々にそのことを伝えようとしたと言えるでしょう。

 葉蔵が下男たちに連れられて演説会に行った帰り道。彼らは口々に演説の悪評を言い、そして家では平気な顔をして、演説会は大成功でしたよ、と言う。そのくだりはそのまま、人が矛盾した行動をとる生き物である、ということに対しての恐ろしさを表しています。それは、僕が星の王子さまの記事で書いたような、人は誰しも違う認識価値観の世界に生きているということ、人は互いを完全に理解することはできないということ、にも繋がります。人は必ずしも真実だけを口にするのではなく、時に嘘もつく。人間はそういう矛盾を当然のように受け止めつつ、なお平気で仮初の信頼関係を築き生きているという事実。そんな気持ち悪さを、太宰は提示しています。

 葉蔵は他人を懸命に理解しようとしますが、それはとても困難を伴うものでした。彼は人を信じようとしたために、ヒラメや堀木のような人間の卑しさ、偽善、エゴイズム、そのしみったれた後ろ暗い気質に翻弄され続けます。そうして彼は更生のチャンスを逃し、妻を犯され、果ては騙されて精神病院に入院することになってしまう。そこには、ただ不幸であるというよりも、もっと大きな、人間の邪悪さ、不条理さが描かれているように思えます。自分が信じる主観的真実に従って生きる姿勢、それを純粋に貫こうとすることの人間社会における敗北という太宰の経験に裏打ちされた、果てしない絶望が表されています。

 あとがきに、この手記を託されたマダムの、葉蔵に対するこんな印象を表した一節があります。
 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした
 マダムは最後まで、葉蔵の抱えていた苦悩など一切知ることなかったのでしょう。単純な思考で、ただ目に見えることだけに心を傾ける。自分を善人であると思い、他人に嘘をつきながら互いに平気で生きている。この作品で描かれている人間、というものも、おおよそそういったものであると思います。そんな彼らの挙動が、葉蔵にとっては大いに心を悩ませるものであり、真に純粋な彼には、嘘をついたり他人を傷つけてまでエゴを通す人間というものが理解し難いものだったのでしょう。

 「おまえは、自分が悪だと気づいていない…もっともドス黒い『悪』だ……
 ジョジョの奇妙な冒険という漫画の中で、ウェザー・リポートが敵役であるプッチ神父に言う台詞です。僕はこれこそが、太宰の示す人間の本質を端的に表しているように思えます。罪を犯した者が罪を意識しない。よって良心の呵責に悩むこともない。これ以上の罪深さがあるでしょうか。利己的な人間の言動は、葉蔵にとって無意識の暴力にも等しかったと思います。それは、自分を偽らず、他人を真摯に受け止め、愛や信頼や真実といったことを求め続けた葉蔵によって初めて見出される人の醜さ、暗黒面とも言うべき点なのでしょう。

 そういう、人がが普段生きている中では気づかない言動を、葉蔵というキャラクターを通して浮き彫りにし、はっきりと悪だと示したことが、この作品で最も注目すべき点だと思いました。我々は真に利己的な生き物です。戦争、環境破壊、人種差別に食糧不足など、文明社会が発達し生活が豊かになる中で、人間は未だに様々な問題を抱えています。が、それらの問題を解決しようという動きが、遅々としたものだと思うのは僕だけでしょうか? それが明らかに善くないことだとわかっていて、なお欲望のためにそれを止めることができない。我々は、自分達の営みによって、他の動物や環境に被害が与えられ、さらには自分自身も死に至らしめんとする。自ら死に向かっている。そんな矛盾した部分に気づいているのではないでしょうか。それを漠然と認識しながら、しかしそんな矛盾したものは認めたくない。そんな思いから、それらの問題に対し知らず目を背けているような気がします。

 知らないということは罪ではないと、僕は思います。真に罪深いのは、罪と知っていながら、それを知らない振りをする。見て見ぬ振りをして、やり過ごそうとする。そういう事を僕は悪だと思います。まぁそうすると、我々は今すぐ環境保護や平和主張のために心を砕かないといけないことになりますね……なんて大変なんだろう。あぁ、僕は悪でいいや(わらい

 僕が聖書の中のイヴかアダムだったら、決して知恵の実を食べるようなことはしなかっただろう。世の中には、知らない方が幸せなことが沢山ある。夢を見続けられるとしたら、僕はずっと眠っている方を選びたいけれど。そういうわけにもいかないのが現実の辛いところ。
  最近やたら忙しいです。軽く論理展開がおかしいです。まぁ、大目に見てやってください……


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太宰治の死と文学~マニア発
太宰は、いちばん好きな作家です。ここから、いろいろな作家へと読み進んでいきました。いまはほとんど帰ることのない私の故郷です。太宰のよいところを上手に言うのはムズカシイですね。恥、道化、役者、気高さ、素朴、正直、etc...単語でしか言えません。ただ「誤解されて
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太宰治 著 『畜犬談』久しぶりに本読んで泣きました。面白く、そして泣ける短編です。 太宰治といえば、『人間失格』やら『斜陽』などが有名です。僕が、高校生の時、初めて『人間失格』を読んだ時は、震えがとまらないほどの衝撃を受けたのを覚えています。正

コメント

来ましたです
「人間失格」ですねあまり覚えて無いという事は
まともに読んでいなかったのかと反省です。
改めて、胡椒の人さんの解説で考える事に
1、題の人間失格は太宰にとって誰にあたるのか主人公か
  それともそれ以外の人か
2、太宰にとって、人間とは何だったのか、自分の価値観で
  決められるものか、社会的な価値観で決まるものか
  つまり太宰にとっての自分は何者だったのか
3、人の内面の強さ弱さをどう理解するか、それによって具現する  事をどう理解するか、単純に社会規範で判定して良いのか?
4、罪は背負っているのか背負うのか、それは誰に対してか?
5、善悪は誰が決めるのか、利己的に生きるのが凡ての生き物の定  めなら、利己的でない様に生きる事は悪になるのか?
  善と悪は分かれているのか、重なる事もあるのか、同じものな  のか

 と考えて行くと切りがないのですね。文学の中で人間を
 表現した、偉大な作家だと。しかし、芸術が深いようにそれを
 生み出す人も芸術でも簡単には計れないかも知れませんね。
 なかなか、良い勉強になりました。ここまで親切に書いて
 貰えるのは大変ありがたいです。次を楽しみにきます。
更新サボってます
自分でも未だにうまくまとめられていないような気がします_no
読んでくださる方々には申し訳ない。

僕は太宰が描いた人間、というものに注目して書いたつもりなのですが、
この作品の中にはそれ以上に色々なテーマが込められていると思います。
機会があれば読み返してみるのもオススメです。
何か読む時々によって違ったテーマに注目できる気がするのです。

風さんの着眼点はすごい面白いですね。
何か僕自身気づかなかったような疑問も指摘されていて、すごく興味深いです。
機会があったら一度記事にしてみたいなぁと思いマシタ。
こんにちは。はじめまして。
書き始めたら長くなってしまいそうなので、ちょっとだけ、ラスト一行に絞ってコメントします。
>>「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
これはきっと、葉蔵(太宰)の望まなかった言葉なのだと思います。そんな風に言われたくはなかったはずです。
でもこの言葉が救いを見出して、最後に葉蔵の美しい部分が、はじめて描かれることになるわけです。
こうして、決定的に擦れ違ったまま「人間失格」は幕を閉じるのです。最後の最後、希望までもが望まない形になってしまった。
私はこの部分に深く心を動かされました。
もっと書きたいのですが長文になってしまうのでこれで失礼します!15の小娘の戯言だと思って聞き流してください!では。

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